有為転変堂

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推しの恋愛や結婚でファンをやめることについて

 

フォロイーさんの質問箱に、恋人や婚約者ができたことを理由に推しのファンをやめる人がいたとしてもそれ自体は個人の自由ではという内容の質問が届いていた。
フォロイーさんはそれに対して、推しの人権に関わることだから気持ちを表出する場所は考えなきゃいけないし攻撃したりするのは論外だけど どんな理由でファンになるかやめるかはその人の自由だし 自分もそういう理由でファンをやめることを責める人間は苦手だと回答していた。
勝手ながら、何だか救われた気持ちになった。

自分はSNSのプロフィールに書いてある通り、フィクトセクシャルを自認している。フィクトセクシャルというとその名の通りフィクションの中の架空の人物に性的魅力を感じるセクシャリティとして知られているけれど、芸能人などの"手が届かない"人物も対象となるとされている。

今までの人生の中で、芸能人などの実在人物を性愛の対象として認識したことはそれほど多くはない。一番多かったのは小学生くらいのころだろうか。たぶん高校以降はほとんどなかったと思う。
でもそれは、生身の人間に興味がなくなったとか指向が変わったからではない。自分で自分の欲求を抑え込み、できるだけそういった思考にならないように"努力"をした結果だ。

芸能人とは少し違うかもしれないが、好きなYouTuberやゲーム実況者は高校時代から途切れることなくいた。性的魅力を感じそうになったことなら幾度となくあった。
その度に欲求を過度に抑え込んだ。時にはフィクトセクシャルの人間に向けられがちな蔑視をあえて自分自身に向けることで、己の目を無理やり覚まさせた。

冷静に考えたら欲求を持つこと自体は何も悪くないし、相手に迷惑がかかることもない。人前に出る活動をしている人の中には、自身がそういった目線を向けられることを想定して黙認・歓迎している者もいるくらいだ。
自分の一連の行動原理は間違いなく他者から向けられる蔑視だったのだけど、そのことに気づかないまま自分自身がその蔑視を内面化して、自分が一番楽しめる在り方を封印し続けてきた。その在り方の基盤が揺らぐ(恋人や結婚相手ができる)ことで、ファンを続けられなくなるかもしれないからと。

自分の中で、恋愛絡みでファンを辞めることはいつの間にか悪ということになっていた。個人的には一度もそんなふうに思ったことはなかったけれど、自分の観測範囲では大抵の場合そういうことになっているらしいと知り、その圧倒的な価値観に抗う気力がなかったからだ。

そうして過ごすうちに時は経ち、先月、韓国アイドルであるBTSに沼落ちした。
自分は"沼落ち"という表現をあまり使わない人間なのだけど、彼らへのハマり方は沼落ちとしか言い表しようがない。唐突にドボンした。自分自身が一番驚いている。
彼らのことは、ファンであると同時に深く尊敬の念を抱いている。セルフラブを大切にし、時に社会問題についても発信し、ファンと持ちつ持たれつの関係を丁寧に築く彼らが大好きだ。ファンになる前から彼らの人権や差別に対するスタンスや功績を、SNSのフォロイーさんの発信で薄らとは知っていた。

じゃあ、彼らに対して性的魅力をまったく感じていないのか、そういう目では一切見ていないのかと言われれば、答えはNOだ。
正直、自分はBTSに対してそういう見方もしているかもしれないと気づいた時、ものすごい自己嫌悪と罪悪感に襲われた。またいつものように欲求を誤魔化して抑え込んで、自分は"迷惑な存在"などではないのだと思い込もうとした。
でも、それは難しかった。何せ彼らはアイドルなのだ。自分たちが魅力的に見える装いやポーズや言葉を、他でもないファンたちのために惜しげもなく浴びせてくる。ファンが"そういう見方"をすることを前提に活動しているプロフェッショナルたちなのだ。
だから周りのファンも欲望を隠さないし、彼らもそれに全力で応える。そんな姿を見ていたらだんだん気が緩んできて、気づいたら夢創作を漁っていた。生まれて初めて実在人物の夢創作に手を出した。ここまできてしまったらもう誤魔化しようがなかった。
でも、罪悪感だけは変わらずに心の奥でずっとくすぶり続けていた。

そんな時にフォロイーさんの元に届いた質問文と回答を読んで、もうこれ以上無意味に自分を苦しめなくてもいいのかもしれないと思った。
どこの誰かも分からない匿名の文章と、話したこともないフォロイーさんの返答にこんなふうに救われるのは変かもしれないし、おこがましいかもしれないけど、心に纏っていたドス黒いモヤが晴れていくのを感じた。

BTSメンバー、特に最推しの恋愛事情や結婚情報(の正式発表)を目にしたら、きっと自分は辛くなると思う。彼らには人間としての憧れの気持ちも抱いているし曲も大好きだからファン自体をやめることはないと思うけれど、推し変はするかもしれない。
これからも幸せでいてほしいと願う気持ちはありつつも、心からおめでとうと言える自信はあまりない。発表に対して何のリアクションもせずに黙ってしまう気がする。
それらの感情を大切な自分の一部として抱きしめつつ、自分と同じ一人の人間である彼らの負担にならないように最善の行動をとることは、本来両立できることのはずだ。そして、最善の行動の中には、彼らや自分自身の心を守るために"黙ってファンという立場から去る"というのもあっていいのではないだろうか。
ポジティブな行いであるはずの推し活を辛さを我慢してでも続けるなんてのは、それこそ本末転倒だ。

そもそも、恋愛禁止や恋愛発覚による罰則などの人権侵害は事務所が課すものであって、ファン側に決定権はない。事務所は無茶な要求をするファンからアイドルを守るムーブもできるわけだが、"商売道具"の権利を守ることよりも商売を守ることを選びとっているために起きている事態とも言える。

仮にファン側を批判するとしてもその矛先は無茶な要求をすることや攻撃的な手段に対してであるべきで、"楽しみ方"そのものをジャッジし、これはいい楽しみ方でこれはダメな楽しみ方だと決めつけるのは、いわゆる"害悪オタク"と呼ばれる行いそのものではないか。

先月あたり、自分はこの話題に関するSNS上でのやり取りの中で「恋愛したくらいでやめるファンなら最初からいらねぇよ」という返信に4桁のいいねがついているのを見かけてしまい、動悸がして、頭が真っ白になった。
構造に苦しめられているアイドル本人の口から絞り出された言葉ならともかく、発信者は同じ立場であるはずの一ファンで、文末に「w」が羅列していたことにもかなり心を削られた。文体を見るに、アイドルを心から心配しての批判の言葉というよりは疑似恋愛を楽しむファンへの蔑視感情からくる暴言だろう。

本来自由であるはずのファン動機やそれをやめる理由を上から目線で勝手にジャッジされ、不合格だとみなされたらそれまでの真摯な応援まで無駄なものだったと切り捨てられ、嘲笑されなければならない道理がいったいどこにあるのだろう。特にアイドルという存在は性的魅力も売りのひとつとしている、そういう見られ方を想定した職業であるはずなのに、それを素直に受け取って楽しんでいるだけでなぜそこまで言われなければならないのだろう。
性愛感情の絡まないファンはそんなにも偉いのか。ましてやその価値観をアイドルのファンダムにまで持ち込むのは傲慢ではないのか。

これからもこういった暴言や蔑視に晒されながら推し活をしなければならないだろうことを思うと苦しくなる。
両立可能なものを二者択一しなければならないかのように扱われるのには、本当にウンザリだ。

それでも自分は、これからも彼ら/彼女らの性的魅力を自分の在り方に正直に受け止めて、攻撃的なファンがいればそのやり方を諌め、いつどんな理由でファンになるかやめるかを自分自身の意思で自由に選択したいと思っている。